当社は今からおよそ1800年もの昔、第十四代仲哀天皇さまと神功皇后さまは、熊襲征伐と朝鮮への出兵のため、洞の海(洞海湾)へこられ、おとどまりになり船団を整えました。その船の帆柱を切り出したのが帆柱山でした。
神功皇后さまと皇子(応神天皇)と共に皿暮山(陽が暮れた山=更暮れ山)に登り国見をされました。下山の途中この大蔵谷に立ち寄られ、この地の安泰を祈られ、又、皇子応神天皇さまにお乳を与えられたのが、現在の社地です。
後、1662年(寛文2年)大字大蔵(大蔵村)の産土神(うぢがみ)様として、村人がこの聖地に社を建立し、氏子の人々により祭りを続けてきました。
大蔵地区の平安と繁栄を日夜守り導いて下さっている神様です。
特に家庭平安、目標達成、悪難解消、安産成長、商売繁昌の御神徳高く、
産土神様であるが故に朝夕、氏子の平安無事をわけへだてなく守護せられる。
近年、氏子の清き奉賛の心強く、まさに「貞永式目」に見える如く、
「神は人の敬によりて威をまし、人は神の徳によりて運を添う」
がごとく、八幡様の御光が益々に輝きますこと、
神殿の千木高く、大蔵の里々に光り輝くをみたり。
(御由緒原文)
小倉(尾倉)庄(尾倉村・前田村・大蔵村・枝光村・戸畑村・若松村)の宗社たる豊山八幡宮に参詣するに程遠き大蔵村の里人は、我が村に豊山八幡宮を勘請し、大蔵村(大蔵・中河内・田代・中尾・猪倉)の産土神(うぢがみ)を御創建せんと、寛文2年(1,662年)8月21日崇祭す。
この地は1,700年余年の往昔御祭神、神功皇后が更暮山にて国見し給いし後、乳山の山麓にて皇子(後の応神天皇)にお乳を与え給いし、聖地を産土神様御創建の佳き地と撰びて創建し今日に至る。
想うに、この高所にて朝鮮半島出兵、九州および半島の平安無事を祈られ給うと共に、皇子の幸多からんを祈られつつ御乳を与え給うを図り想えば、実に縁深かりし所に鎮座ましまされたと拝される。
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